一般的に、女性に比べると男性のほうが、会話のなかに間接話法を多く用いると言われます。
それはつまり、女性なら「Aさんに会ったらね『ちょっと~なんだか元気そうじゃない?!』っていわれちゃった」と本人の口まね入りで場面説明をするのに対し、男性は「Aさんに会ったら元気そうだと言われた」と、Aさんの言葉を自分の言葉に言い換える傾向があるということです。前者が直接話法、後者が間接話法と呼ばれます。
なんでこんな話をしているかといいますと、河合隼雄さんの本に「日本には父性原理が少ない」と書かれているのを読んで、そういえば音楽もそうかもと思ったからです。
西洋音楽は、まさに父性原理で貫かれています。ベートーベンの交響曲に代表される、揺るぎない構造と音のコントロール。
表題音楽の「田園」ならば、田園に「ついて」の音楽であると、私には思えます。どこか間接的です。
それに対し、私が好きで、しかも世界的に評価されている、武満徹、佐藤聰明といった日本の作曲家の音は、たとえば夜なら、夜「そのもの」を表しているように思えます。まるで夜じしんが自分の言葉で直接語っているかのような音。音が独り歩きしてどこかに行ってしまいそうです。それは間接的な「夜について」の音楽ではありません。
どちらの音楽も好きですが、私は音をつくる側のものとして、直接話法的な作曲により関心があります。